自分を達観する

徳の高い人になりたい、そのように暮らしたいと思っても、やはり煩悩やエゴとの葛藤が常にあり常に人は迷うものである。しかし、それでいいのだと思う。無理に我慢をして崇高な人でいる必要はない。いつか、自然にやっていてそのような立ち振る舞い、行動、言動ができるようになるのが理想であるが、それまでは日々、葛藤して失敗をしてもいいのである。大切なのは、そのような人になりたいと思う気持ちと、今、自分の心がどのようにしたいかを聞くこと、そしてその葛藤や自分が取る行動を自分で『達観して見る』ことが大事なのだ。要は、成長途中で失敗をする自分も、一つ上の段から『達観して自分を見る』のである。そして、それを楽しんだり、反省をしたりする。そうすることで、少しづつ、自分が何に執着をしていたり、とらわれていたりして、このような結果になるのか、見えてきて、理解できてくる。そして、体でいろいろと覚えてるので、あるべき姿や行動が、自然と腹にはまってくる。

自分の心に従い、やりたいようにする。ただし、一つ上から自分自信を達観し、成長途中のバカな自分を楽しみ、学ぶ。そうすることでいろいろなことが、よく見えて、すこしづつ、成長することができる。上から達観しているということは、当の本人は、誰かに上から見られているという感覚を持つことも大事だ。ジムキャリーの『トゥルーマンショー』という映画のように、自分の人生がドラマの主人公で、常に大勢の観客が自分の行動を見られているという感覚をもっておくことだ。大成功をしたり、大失敗をしたり、とんでもない逆境であっても、常に誰かが見ているという感覚をもって考え、行動することも大事である。

上から自分を達観することと、常に観客が自分の人生の演技を見ているという感覚を持ち続けることである。

edit by 圓尾 伸三

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